wash one's hands of ... |
英語のイディオムwash one's hands of ...(...の責任を取らない、...を見放す、...厄介払いをする)の語源となった「手を洗う」シーンを、ちゃんと見ちゃいました! どこでかというと、毎年、トラファルガー広場では、イエスが十字架にかけられたGood Fridayにイベントとしての舞台"The Passion of Jesus"が演じられます(無料・自由)。 トラファルガー広場を埋め尽くす屋外小劇場とでももうしましょうか。。。無料イベントで、観客は通りすがりの観光客が多いからといって、なめてはいけない!(私は、なぜだか、この日にここに来ることが多い?!) 群集が、イエスを十字架にかけろと騒ぐ中、ローマ総督ピラトは、イエスは死刑にかけられる様な罪を犯していないと思いながらも、群集の騒ぎを沈め、事を丸く収めるため、群衆の前で、象徴的に、手を洗ってみせるのです。 「無実の人間の血が流れる事に、我は、関わり無いので、こうして手を洗うぞ。よって、我の手は、血がついておらず綺麗だ。おぬしらが、もし、彼を十字架にかけたければ、それは、そっちの責任だ」という意思表示。 wash one's hands of ... は、群集の力に負け、政治的サバイバル本能をみせたパラトの「手を洗う」という行為により生まれたイディオム。 捕らえられから磔刑までの一連の出来事、やり取り、ローマ総督パラトの葛藤や、居合わせたとされる人々の怒り、苦しみ、悲しみ。。。司祭、聖母、マグダラのマリア、ヨハネ。。。 パラトを演じた役者さんが最も素晴らしかったですが、音響効果もあり、十字架を背負ってトラファルガーを這いつくばるかのように歩いたイエス(を演じた役者の)姿は真に迫って、傷ましく、広場は悲しみに包まれたほど。 腕に、足に、兵士が杭を打ち込むんだ時の響きと、イエスの叫び。 私に子どもがいたら、(キリスト教徒だろうが仏教徒だろうが、十字架のシーンだけしか知らないなんてダメ!ダメ!と、勉強のために)毎年、ここにこれを見せに連れてくるところなのですが。 肉眼で見えているのですが、役者の表情を大スクリーンで見ると(イベントにはもったいない)本物の演技に圧倒されます。 |
by rie-suzuki67
| 2016-03-26 09:19
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