アロットメント(Allotment Garden) |
ロンドン32区(とシティ)の中にそれぞれ振られた数字、何の数だと思いますか? 市民が小さな一区画を借りて野菜や花などを栽培する共有の「市民(コミュニティ)農園」の数で、英国では「アロットメント」と呼ばれています。 住宅地の中に、忽然と現れる緑の菜園のような不思議なスペース。楽しげに畑仕事に精を出している様子を見かけることがあります。 農業国から来た移民の多い地区では、「アロットメント」の利用が盛んで、地域住民の民族性が反映されているのも興味深いです。 今では、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ポルトガル、オーストリア、チェコ、フィリピン、日本など、世界中に広がる「アロットメント」(市民農園)ですが、「アロットメント」の起源は、18世紀末の英国が発祥といわれ、貧民救済策として誕生した制度。 エリザベス一世の治下の16世紀、英国では、毛織物生産のための牧羊地を広げたいと思った領主によって、多くの農作物作りや家畜の飼育などをしていた農民がその地を奪われ追い払われます。歴史上、「第一次囲い込み」(Tudor Enclosure)政策と呼ばれるものです。 羊毛は、オランダに輸出するため。オランダは毛織物工業で発展していた国でありますが、その原料は英国が輸出していたわけです。オランダの発展は、即、英国の羊毛輸出量の増加、英国の発展に繋がっていました。 (羊毛で13世紀~17世紀に栄え、中世の家々が残る村々「コッツウォルズ」がお好きで、毎年、村々を訪れる皆様、ふっと、そんな歴史の裏にあるものにも思いをめぐらしてみてくださいね) その後も、産業革命が進 んだ18世紀半ばから19世紀にかけては「農業革命」が起こり、近代的な大規模農業生産を促進・拡大する目的で、領主や富農たちによって「第二次囲い込み」(第二次エンクロージャー)」政策が立法化され、農民の中には 生活に困窮し、都市部に出て慣れない生活を強いられるものが増えていったそうです。 領主によって、(追い払うために)家を焼き討ちされたりもしたわけです。 こうした人々への救済策として、聖職者や一部の領主が、ささやかな土地使用料と引き 換えに、食料を自分で収穫できるよう一定の広さの土地を小額で貸与(= allotment)した制度が、現在の「アロットメント・ガーデン」の原型。多くは、痩せた地でも育つジャガイモを栽培したそうです(悲しい話です)。 1887年には、「Allotment Act」として法制化します。これにより耕地は法によって保護され、自治体(市・区役所)は市民の要請にもとづきアロットメントを供給するよう定められています。 第一次世界大戦の頃には、食糧難対策のためアロットメントの数は拡大し、そして、第二次世界大戦が勃発すると、政府は、連合軍勝利のスローガン「Dig For Victory(勝利のために耕そう)」を掲げたキャンペーンを展開、市民たちが自宅の庭やアロットメントを利用して食料を自 給自足(「Grow Your Own」)。 「Grow Your Own」という言葉は、英国人にとって「DIY(Do It Yourself)」と同じぐらい馴染みの深い言葉になっています。 ウェブサイトから、最寄りのアロットメントを検索すると、身近に驚くほどの数があることにびっくりしますが、ロンドンのような都心部では、5年以上も待つようなウェイティング・リスト順。 各人が建てた道具小屋のほうが目立つぐらい、(共有で使用するアロットメントの中で)あてがわれる広さ(一区画)は、私から見たら本当に小さいけれど、賃貸料は月約20~100ポンドで通常1年単位で前払い。 もちろん、農作業をする以外にも、スケッチをしたり、読書をするといった時間の過ごし方もいいでしょう。 従来のガーデニング・ブームの範疇にはおさまらない何かがある英国です。 余談ですが、日本に市民農園が伝わり、設けられたのは、明治時代の末期。場所は、東京・滝の川が最初。 |
by rie-suzuki67
| 2013-08-21 04:17
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