人気ブログランキング | 話題のタグを見る

旬の英国便り
by RIE SUZUKI, meet Britain
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
検索
記事ランキング
以前の記事
その他のジャンル
画像一覧
外部リンク








Nine Days' Queen
最近、お客様がぼやいた言葉に「ロンドンの街には銅像やら何やらが沢山あって、もう、何がなんだか」。

おっしゃる通り、国王や貴族、政治家、功績のあった将軍、探検家、発明家、化学者、エンジニア、実業家、運動化などの銅像をはじめとして、建物や壁面に施されたレリーフ記念碑といったものが、ロンドンという街の雰囲気をかもし出す一つの要素となっています。

銅像ならば、プレートが付けられているので、それが誰なのかということ(だけ)はわかりますが、レリーフとなると絡み合う英国の歴史・王室・文化・芸術などに関する知識の度合いが影響します。

そこで、今日は、彫刻としては珍しい人のレリーフをご紹介します。
Nine Days\' Queen_a0067582_18375710.jpg

場所は、ビックベンの向かいで、ウェストミンスター寺院の隣。パーラメント・スクエアの一角をなす建物。

現在はUK Supreme Court(重犯罪の最高裁判所)ですが、元々はMiddlesex Guildhallでした。※1965年まで存在したミドルセックス州(ミドルセックス・カウンティ・カウンシル)は、その殆どがロンドンに合併されて今はもう存在しませんが、元々はミドルセックス・カウンティ・カウンシルの州役所として建てられたもの。
Nine Days\' Queen_a0067582_18391378.jpg

1906年築なので(英国建造物としては)新し目の建物なのですが、指定保存建造物です(Grade II)。

見ての通り、石材はポートランド・ストーン。すごいのはレリーフの見事さ!全部、説明すると長くなるので、注目すべき一部だけにしますが・・・

正面玄関の右側には、(歴史家によっては歴代英国王としては数に入れない)Nine Days' Queen として知られるレディー・ジェイン・グレイ(Lady Jane Grey, 1537-1554)のレリーフが施されています。
Nine Days\' Queen_a0067582_1842256.jpg

珍しいでしょ?!

彼女の悲劇についての詳細は、最後に補足させていただくことにして、レリーフのことをお話すますね。

このレリーフを見て、なぜ、「9日女王レディー・ジェイン・グレイだ」とわかるのかには理由があるんです。
Nine Days\' Queen_a0067582_184348.jpg

彼女を題材にした絵画が三枚存在し、いずれも数奇な運命を辿って、一枚はロンドンのナショナル・ギャラリーが、テート・ブリテンがもう一枚を収蔵しており、残りの一枚はベッドフォードシャーにあるベッドフォード公爵の邸宅・ウォバーン・アビーの収集品(Woburn Abbey Collection)となっています。

ナショナル・ギャラリーに展示されている絵画は、彼女の処刑シーンを描いたもので、私は好きではないのですが、同じようにナショナル・ギャラリーでこの絵を見た夏目漱石さんは「倫敦塔」の中で“英国の歴史を読んだ者でジェーン・グレーの名を知らぬものはあるまい。又その薄命と無残の最後(最期)に同情の涙を濺(そそ)がぬ者はあるまい。”と書いています。
Nine Days\' Queen_a0067582_18435788.jpg

The Execution of Lady Jane Grey(レディー・ジェイン・グレイの処刑)
by Paul Delaroche(ポール・ドラローシュ/1833年 フランス)


レリーフと関係のあるのが、実は残りの二枚です。

この二枚は、ロンドン生まれのアメリカ人画家・チャールズ・ロバート・リズリーが描いたもので、白黒なのか、カラーなのかの違いだけで、同じものです。

カラーをテート・ブリテンが収蔵しており、白黒の方をベッドフォード公爵が所有しているという代物。

Lady Jane Grey prevailed upon to accept the Crown(王冠の受理を強いられるレディー・ジェイン・グレイ)
by Charles Robert Leslie(チャールズ・ロバート・リズリー/1827年)

Nine Days\' Queen_a0067582_18444888.jpg

中央にジェインと(夫の)ギルフォードが描かれており(若いカップル)、彼らの足許に王冠。ギルフォードは、片手をジェインの腕に回し、反対の手で二人の前に跪いている(ギルフォードの父)ノーザンバランド公爵の手にした書状を指さしながら、彼女に王冠を受理するよう促しています。そんな夫を見つめるジェインのまなざしは、(何が起こっているのかを悟り)不安げで、哀しげに見えます。ジェインの右隣には(ジェインの母)サッフォーク公爵夫人、ノーザンバランド公爵の隣には(ジェインの父)サッフォーク公爵の姿が描かれています。

彫刻家ヘンリー・フェール(Henry Charles Fehr, 1867-1940)がこの建物に施したレリーフの数々は圧巻ですが、レディー・ジェイン・グレイの部分のレリーフは、絵画のシーンを彫刻の構図に置き換えたものと察しがつきます。
Nine Days\' Queen_a0067582_18492660.jpg

もちろん、上記の絵画を知らなかったとしても、レリーフをよくよく観察すると、レディー・ジェイン・グレイがチューダー・ローズの柄が施された衣装をまとっていることに気がつくことでしょう。

この他、この建物にヘンリー・フェールが施したレリーフには、・・・
Nine Days\' Queen_a0067582_18463444.jpg

ラニイミード(ウィンザーの近くある平原)でマグアナ・カルタに調印させられているジョン王や、ウェストミンスター寺院を現在の規模にまで大改築したヘンリー3世がウェストミンスター寺院にチャーターを与えているシーン・・・
Nine Days\' Queen_a0067582_18472897.jpg

数々の英国のシンボルやブリタニアが彫られていますので、機会があったらご覧ください。
Nine Days\' Queen_a0067582_18482341.jpg




ヘンリー8世は、富が集中している修道院を解体し、ローマ・カトリックと決別して英国国教会を打ち立てた王様ですが、三人に子どもがいました。

後のメアリー女王、後のエリザベス一世、後のエドワード6世です。

ヘンリー8世は、後継者としてただ一人の息子であるエドワードを指名します。しかし、エドワードは子どもの頃から病弱で長くは生きられないと見越していたヘンリー8世は、エドワードに世継ぎができなかった場合、次はメアリー。そして、メアリーに世継ぎができなかった場合、次はエリザベス。そして、エリザベスに世継ぎができなかった場合は、ヘンリー8世の妹(メアリー)が産んだ娘(フランシス)の産んだ娘であるジェイン、と王位継承順位を遺言として残します(ジェインは、ヘンリー8世の父・ヘンリー7世の曾孫にあたるので)。

イングランド随一と謳われたジェインは、聡明で、熱心なプロテスタント、後のエリザベス一世とは学問上のライバルでプラトンの哲学書をギリシャ語で読むほどの才女でギリシャ語とラテン語の両方を話すこと、論述することの修練をつんでいました。

エドワード6世が崩御する一ヶ月ほど前から、一人の貴族の野望が始まります。ノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーです。
 
ヘンリー8世の遺言である王位継承第二位のメアリー王女がカトリック教徒であること、プロテスタント(英国国教会)に及ぼすその脅威を切々とエドワード6世に説き、ついにジェインの王位継承を指示した勅状を手に入れます。

こうしてノーサンバランド公爵は、ジェインと自分の息子のギルフォードとを結婚させ、二人の間に生まれた男子を王位継承者とするのが最終的な目的で、その計画を進めていったのです。

しかし、ノーサンバランド公爵の不穏な動きは、(カトリックの貴族)ノーフォーク公爵に察知
され、ノーフォーク公は機転を利かせてメアリーを自分の所領に匿います。

7月6日、エドワード6世が崩御すると、その死は10日まで公表されませんでした。これは、エドワード6世の崩御と同時に、勅状を盾にメアリーを逮捕し、カトリック派を押さえ込んだ上で、ジェインの王位宣言をするはずだったのです。

その計画は、メアリーの避難によって大幅に狂ってしまいます。

7月9日、メアリー王女逮捕という重要な布石を欠いたまま、ノーサンバランド公爵はキングズ・リンの居館サイアン・ハウスにジェインを招き、エドワード6世の勅命により王位継承者に指名された旨を告げます。

この時点までジェインは義父であるノーサンバランド公爵の野望を全く知らされておらず、はじめはその意味するところを理解できない有り様でしたが、やがて事の重大さを認識するに至ると、自己の運命の余りに衝撃的な展開に、その場で失神したと伝えられています。

7月10日、エドワード6世の崩御とジェイン女王即位が、セント・ポールズ・クロスで発表されます。この突然のジェインの王位宣言は、政敵(カトリック)の激しい反発を招きます。エドワード6世は15歳で死んだため、 法的にヘンリー8世の遺書を変更できる年齢には達していないということでジェーンの王座の正当性が問われたのです。また国民の支持も圧倒的にメアリー王女に集まり、妹のエリザベス王女(後のエリザベス一世)までも姉を支持。さらに、味方に付くはずの英国国教会の貴族たちをもメアリー擁立へ走ったため、ノーサンバランド公爵一族は一網打尽にされ、首謀者ノーサンバランド公爵はタワー・ヒルで処刑となります。

10月1日、敬虔なカトリック信者のメアリー王女は、チューダーの正統な王位継承者として即位し、ここにエドワード時代のプロテスタント(英国国教会)、メアリー時代のカトリックという国を二分する激烈な宗教対立を生むことになるわけで、後に「ブラッディ・メアリー」の異名をとるほど、英国史に拭いがたい血の汚点を残す女王メアリーが誕生するわけです。しかし、この時のジェインに対する措置は、信じられないほど寛大なものでした。

1554年2月、メアリー女王は、ジェインに、カトリックへの改宗を条件として罪を許すことを伝えます。しかし、既に死の覚悟をしていたジェインは、「もはや自分には二つの宗教の間を揺れ動く時間は残されていない」とこれを拒否。

「時間が残されていない」という言葉を文字通りに受け取ってあげて、メアリーは、さらに 3日の考慮の猶予を与えます。

ジェインの真意は見苦しい足掻きなどせず死につく決意であったので、彼女は女王の心づかいに感謝しつつ、最後の助命の提案を固辞。この時、仲介役を務めた司祭フェケナムは、ジェインの気高さと勇気に強い感銘を受け、彼女の処刑の場まで付き添ったそうです。

※ナショナル・ギャラリーに展示されている処刑のシーンの絵画の中で、目隠しをされながら、首を置く台の位置を探しているジェインに寄り添っている右の男性がフェケナムではないかとされています。

同月12日、ジェインとギルフォードの処刑が決定。

まず、夫のギルフォードがタワー・ヒルで処刑されます。ジェインは、夫が獄卒に引かれてタワー・ヒルに出て、やがて頭部を失った遺骸が運び込まれる様の一部始終を、獄窓から涙ぐみながら見つめていたといわれています。

ジェインは、ロンドン塔の敷地内であるタワー・グリーンで処刑されます。当時の女性としては最も高い教養を見につけた女性に成長していた彼女はまだ16歳でした。
by rie-suzuki67 | 2013-02-17 18:50 | :: Architecture
<< ブリタニア(Britannia) Valentine's... >>
「英国と暮らす」 apd2.exblog.jp