旬のロンドン便り From LONDON
by RIE SUZUKI, meet Britain
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「アクターズ・チャーチ」
本題に入る前に、・・・、満開です。

バタシー・パークには(本物の)桜の並木があり、素人目にも3種類の桜が植えられているとわかります(桜には600もの品種があるそうです)。
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枝から幾つもの茎と花がぶら下がって咲く姿をみると、桜は「さくらんぼ(チェリー)」の果樹であると実感させられます。

さて、本題。「アクターズ・チャーチ」(The Actors' Church)という通り名で言うと皆がわかる教会が、コヴェント・ガーデン・マーケットと向かい合わせで建っています。
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正式名称は「セント・ポール教会」(St. Paul's Church)ですが、周辺にはロイヤル・オペラ・ハウスはもとより、劇場がたくさんある場所です。

英国を代表する俳優をはじめ、シアター関係者がよく詣る教会ゆえ、そして、歴代の脚本家、監督や俳優といった方々が眠っている(がある)教会ゆえ、「アクターズ・チャーチ」と広く呼ばれています(日本の天河神社みたいなものかな?!)。
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この教会で一番有名な英国人女優は、ヴィヴィアン・リーではないでしょうか?!

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by rie-suzuki67 | 2014-03-27 06:37 | :: Architecture
さよなら、トロカデロ
ピカデリー・サーカスに位置するアミューズメント・ビル「ロンドン・トロカデロ」

シャフツベリー・アヴェニューとコヴェントリー・ストリートに面して一階部分に入口のある(建物の中に入る必要のない)店舗を残して、2月25日、その扉が閉められました。
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(フラッグはまだ下がっています↑、月曜日はお天気が良かったので写真を撮りました)

ここは英国人にとっては青春時代の思い出。ロンドン郊外または地方に住む英国人にとっては、スクール・トリップ(遠足)のスケジュール外での訪問地であったり、友人とロンドンのいずれかの終着駅に下り立って直行した場所だったりと、ティーネイジャーだった頃のロンドンに対する初期の思い出の中に刻まれている場所。

レストランやバー、レコード店、各種ショップはもとより、ボーリング場、旧式アーケードゲーム、ゴーカート、イマジネーター、ザ・ジャイアント・ドロップ、ロック・サーカス、ヴァーチュアル・グライダー、ザ・レインフォレスト・カフェ、3D IMAX シネマ(映画館)、セガ・ワールド(ゲームセンター)、といったハイテク・アトラクションがぎっしりの複合娯楽施設でした。

世界初のギネス・ワールド・エキシビション・センターもここにあったという、一歩、館内に足を踏み入れたなら、エレベーターやエスカレーターも含めて、そこは宇宙空間・銀河伝説のような雰囲気をかもし出していました。
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元々は1859年に建設された「ロンドン・パビリオン」という名称でのミュージックホールが前身です。

1885年にシャフツベリー・アベニュー(ピカデリー・サーカスから延びる放射線上の道の一つ)の建設にあたり、道が建物を横断する形になるので、建て直されたのが、現在の建物(明治初期、近代日本の建設のために渡英した多くの留学生や視察にやってきた日本人が、エロスの像と共に見た同じ建物。英国のヴィクトリア時代です)。

内観が複合娯楽施設になったのは30年前の1984年からで、その時から名称が「ロンドン・トロカデロ」になりました。

今後は、館内のリノベーションを行い500以上の Japanese Style 'Pod Rooms'(「エンドウ豆のさや」「蚕のまゆ」、日本が発祥のカプセル・ホテルをさす英語)になります。

外観は1885年のままですが、もう、そうなると、中に足を踏み入れることなどないという人が多いでしょう。

このブログで掲出した写真の中には、すでに、歴史を語る過去の様相となった写真が沢山あります。トロカデロでボーリングをした時のことを書いた「10 pin bowling」の写真も、歴史の一こまになってしまいました(さびしいです)。
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by rie-suzuki67 | 2014-03-26 08:25 | :: News
レッド・ハウス
3月の最終日曜日からサマータイムが始まります(10月最終土曜日まで)。

ナショナル・トラストが所有し、管理と保存活動を行っている建物の多くは、冬場は休館の所が多く、冬場の楽しみ半減でしょうけれど、でも、ナショナル・トラストは、保存・保護を目的とした組織ですので、建物に優しい最良の環境をつくり、その上で、一般公開をするという利益は二の次の団体です。
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保存の大敵となる物は、「湿気と乾燥」、そして窓からの「明かり」でタペストリーや絵画が色褪せてしまいます。

もちろん、一般公開により、数多の人が出入りをすることで、これらの他に(吐く息や皮膚呼吸、また、げっぷやおなら)、も持ち込まれます。
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そこで建物を、長い冬の期間休ませて、その間に、優しい環境を与えてあげる、ということをします。家を閉ざし、暗くして、湿度調整(外気よりも高い平均5度に保つ)、掃除やチェック作業を行います。

このことを、ナショナル・トラストでは 'Putting the house to bed' と呼び、今では広く知られた表現になっています。

'Putting the house to bed'「家を寝かせる」「家を眠りにつける」という表現で、While the house is closed over winter the house team put everything to bed、などという使われ方をします。
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去年の10月または11月から、既に眠りについている多くの家が、そろそろ、起こされる時を向かえています。

既に眠りから覚めた一軒、レッド・ハウス(Red House)をご紹介いたします。(写真は9月2日頃のもの)
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>> レッド・ハウスを見学(続きを見る More...)
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by rie-suzuki67 | 2014-03-23 09:20 | :: Architecture
テンプル・プレース2番地
地下鉄の「テンプル」駅があるクレセント(三日月型の道)の一番端に、「テンプル・プレース2番地」というそのまま住所をギャラリー名にしてしまった 'Two Temple Place' があります。
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展示会が開催される期間だけ、建物が一般公開されます。

ニュー・ヨークにあるウォルドーフ・アストリア・ホテル(Waldorf Astoria)の創業者であるアメリカ人のウィリアム・ウォルドーフ・アスター(William Waldorf Astor, 1848-1919)が、1891年に英国に移住し、1895年にテムズ河を見下ろすゴシック様式の邸宅を所有して、それを改装したことに始まるこの建物。
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ゆえに、長きに渡り「アスター・ハウス」(Astor House)の名で知られたこの建物は、現在は、ブルドッグ・トラスト(財団)の所有になっているため、ゲート前の建物の壁には(パブ看板のように)犬のブルドックのサインが掛けられています。

1月31日~4月27日まで、Two Temple Placeでは、ケンブリッジ大学の一部である8つのミュージアムからの選りすぐりの逸品を展示する DISCOVERIES: Art, Science & Exploration from the University of Cambridge Museums 展が開かれています。
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(Two Temple Placeの展示会期間中は、無料・予約不要で建物内に入れるので、ふらっと立ち寄って、展示もさることながら、特出した建物の内装をご覧いただくのに絶好のチャンスです)

私は、二年前に開かれたTwo Temple Placeの初めての展示会を訪れていますが、その時は、ウィリアム・モリス・ギャラリーとのコラボで、William Morris: Story, Memory, Myth という展示でした。

てっきり、その時のモリス展をこのブログでご紹介していると思っていたら、していなかったので、建物についてもご紹介します。

外観は、ポートランド・ストーンを使ったゴシック様式ですが、内装は打って変わって輝くばかりの木材が全室に使われています。
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堅くて美しい高級家具用の木材として知られる「マホガニー材」(mahogany)です。

吹き抜けの螺旋階段には、アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas, 1802-1870)の小説「三銃士」(The Three Musketeers)の中に登場する7人のキャラクターの木彫りが立っているのが特徴的。
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ウィリアム・ウォルドーフ・アスターの最もお気に入りの(最高の)小説が「三銃士」だったからという理由。

アレクサンドル・デュマは、他に「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」、「ダルタニャン物語」、「王妃マルゴ」、「王妃の首飾り」などの作品でも知られており、同名の息子は小説「椿姫」の作者です。

ウィリアム・ウォルドーフ・アスターが、ニュー・ヨークからロンドンに移住してきたのには幾つかの理由がありますが、その一つには、子どもを誘拐するニュー・ヨークの当時の社会問題から、自分の子どもたちを守りたかったからだそうです。
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館内での(展示品を含む)写真撮影は、フラッシュ無しでOKですが、とにかく最低限の照明での展示公開なので、一番の見所であるグレート・ホールの内観などは暗すぎて写真にはおさめられないので残念!でも、頑張って、グレート・ホールのメインドアの彫刻(↓)
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「アーサー王伝説」に登場する9人のヒロインのパネルが埋め込まれており、これは、ロイヤル・アカデミーにも出展されたジョージ・ジェームズ・フラプトン(Sir George James Frampton)作の芸術品。

東側と西側の窓にある各ステンドグラスは、絵のように可愛らしいのですが、A Swiss Summer Landscapeと呼ばれるテーマの作品です。
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さて、肝心の今回の展示は、ケンブリッジの頭脳と探求を象徴するものばかりで、ニュートンダーウィンも登場します。

>> 展示品を見ていく(続きをみる More...)
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by rie-suzuki67 | 2014-03-19 10:35 | :: Gal./Mus./Theatre
ウィンブルドンのミモザ
ウィンブルドンの住宅街を歩いていたら、黄色い沢山のボンボンをつけた花房のミモザの咲くお宅が目に入りました。
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英国の春のシンボルは、黄色いラッパ水仙ですが、「ミモザ街道」で知られる通り、ミモザは南フランスの春を告げる花。
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丸いボンボンが、ヒヨコをイメージさせ、間もなく「イースター」というこの時期は、「生命の復活」へのパワーに繋がっています。

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by rie-suzuki67 | 2014-03-18 10:02 | :: Plants & Parks
リヴァー・テラスと画家たち
サマセット・ハウスの中庭を抜けて、正面の建物中央の Seamen's Hall(という名前のエントランス・ドア)から入って、そのまま向こうのドアから出ると・・・
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ドアの向こうは、リヴァー・テラス(River Terrace)。(↓ 写真は横からですが、リヴァー・テラスの中央に出ます)
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暖かな陽気なので、たくさんの人が寛いでいますが、私は、札幌から一年10ヶ月ぶりに戻った友人と1月11日午後4時頃にも、ここを訪れています。
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その時は、夜景を見るために人がチラホラいたものの、そんな寒い中でテーブルでおしゃべりをしている物好きは私たちだけでした。
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サマセット・ハウスの中庭と建物をわざわざ抜けてこなくても、このリヴァー・テラスには横の通り(ウォータールー・ブリッジの袂)からも、そのままは入れます。
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このテラスからテムズ河セント・ポール大聖堂と共に風景画を描いた画家、または(ウォータールー・ブリッジが架けられた後は)橋の袂からこのテラスを描いた画家が数多いるほど有名な景色です。

1750年、ヴェネツィアの景観画家、カナレット(Canaletto)がロンドンを訪れた時に描いた "The Embankment"(↓)
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英国人が愛して止まないジョン・コンスタブル(John Constable)のオイル・スケッチである "Somerset House Terrace from Waterloo Bridge" (1819)↓
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見ての通り、昔はテムズ河がテラスの下まであり、だから、River Terraceだったんです。

英国・北アイルランド出身のジョン・オコナー(John O'Connor)が、1872年頃に描いたサマセット・ハウスのリヴァー・テラス(↓)
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15年前、私がはじめてリヴァー・テラスの存在を知ったのも、ジョン・オコナーのこの絵画。「この場所に行ってみよう!」とウォータールー・ブリッジを目指して歩いた、あの2月の冬の日を思い起こさせます。

(因みに、ジョン・オコナーの代表作といえば、セント・パンクラス駅の風景画です)
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by rie-suzuki67 | 2014-03-16 10:17 | :: Architecture
「水の舞」
サマセット・ハウス(Somerset House)の中庭「ザ・エドモンド・J・サフラ・ファンテン・コート」(The Edmond J. Safra Fountain Court)の噴水は、変化するダンシング・ウォーター
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(聞こえはしませんが)まるで音楽を奏でているように見えて可愛いのです。

「今のうちに、中に入っちゃおう!」(↓)
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「今が駆け抜けるのに調度いい!」(↓)
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「そろそろ、非難しないと!」(↓)
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「うぉー!全快!」(↓)
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で、また、水の舞が静かに始まりました。
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これを繰り返しています。

例年の3月ではあり得ないほど、毎日、気温16-18度の晴天が続き、太陽の近い英国では(この気温でも)晴れると、痛いほどの陽射し

なので・・・すっかり、皆さん、半袖で、夏の陽気。
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「(タンスの)衣替え」という習慣のないこの国の人は、一年中、半袖だろうが、厚手のコートだろうが、すぐに出してこれるから羨ましい。

カフェやレストランも、表のテーブルが混んでいます。
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風に流されて霧のように顔にかかった水が気持ちよかった「水の舞」でした。
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by rie-suzuki67 | 2014-03-16 05:27 | :: Walk & Streets
バブル・ティー
欧州や英国、韓国などで、二年前からバブル・ティー(Bubble Tea)が流行っている、ということを最近になって知った私。

二人の方が、ロンドンのチャイナ・タウンにあるお店で試してみた、と言うので、そしてコメントも「美味しい」「意外とはまるかも」ということで、私も飲んでみました。
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まずは、Boba Jam(↑)で、タピオカ入り「グリーン・アップル・ティー」(↓)
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by rie-suzuki67 | 2014-03-13 20:50 | :: Food & Beverages
聖オールバン大聖堂
古代ローマの都市「ヴェルレミアム」に住んでいたローマ人オールバンは、迫害に遭ったキリスト教司祭をかくまったことがきっかけで、キリスト教に新たな信仰を見いだします。

しかし、当時の宗教は、ローマの神々でしたから、西暦324年以前に、オールバンは(キリスト教信仰を棄てることを拒み)異教徒として斬首刑に処されます。

ブリテン(英国) 最初のキリスト教殉教者です。

聖オールバン大聖堂(The Cathedral and Abbey Church of St Alban)内にあるオールバンの墓の近くにあるステンドグラス(↓)が語るように・・・
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オールバンは(セイント・ポールと同じくローマの市民権を持っていたので、イエスをはじめとする殉教者が十字架に張り付け処刑されたに対して) で処刑された人物です。

ローマ帝国の衰退、そして「ブリテン放棄」によってローマ軍がブリテンから撤退した後、西暦429年、オールバンの埋葬地であるこの丘を訪れたオセールのゲルマヌス司教が、巡礼を最初に提唱し、こうして建てられたのが、聖オールバン修道院(修道院付きの教会)。オールバンの処刑された埋葬地に建てられました。

セイント・オーバンズが、ロンドンから北を目指す旅人の最初の宿場町であったことは言うまでもありませんが、中世を通して、ここは巡礼の目的地という特質すべき点があります。

チョーサーが書いた「カンタベリー物語」で知られるカンタベリー大聖堂が、聖トーマス・ベケット巡礼地であるのと同様に、聖オールバン大聖堂は、聖オールバンの巡礼地。

最初の建物は、木造の小さなものでしたが、巡礼者が多かったので、ノルマン人初の修道院長となったカーンのポール(Paul of Caen)が、円形アーチの天井を持つを造りました(ウィリアム征服王が英国にもたらしたロマネスク様式のことを英国ではノルマン様式と呼びます)。
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この大聖堂、外から見ていてもわかるように、の部分が1077年頃ノルマン様式で、身廊部分が1100年代から1200年代の初期&中期ゴシック様式、という2つの様式が合体しています。
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この再現図は(↓)、1539年にヘンリー八世の宗教改革で、英国の修道院が解体される直前の様子。左中央の大きな門が、現在も姿をとどめセイント・オールバンズ校の一部となっている1360年代築の旧修道院門
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かつては、イングランド第一の修道院で、その政治的重要性を反映し、マグナ・カルタの最初の草案がこの場所で書かれたほど。

聖オールバンズ修道院付き教会は、1539年「修道院解体令」によって修道院解散後、1553年には、幸いにも地元市民らによって購入され、英国国教会の教区教会「聖オールバン・アビー」(St Albans Abbey)となります(元修道院=Abbey、日本語では「寺院」と訳されます)。

しかし、こんな大きなアビー(寺院)を町の財政で維持することが難しく、その後300年の間は学校として使用されるものの、荒れていきました。
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1877年、お金持ちのグリムスロープ卿が建物を買い取り、大規模な改修工事が行われ、これにより、聖オールバン・アビーは、主教座聖堂「大聖堂」に格上げされました。

大聖堂のある街、それは「市」(city)を意味し、その街に大聖堂がなければ「町」(town)であるということを以前ご説明しましたが、同年1877年、セイント・オールバンズにチャーターが授けられ、町も市に格上げされました。

>> 大聖堂の中に入る(続きを読む More...)
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by rie-suzuki67 | 2014-03-12 19:03 | :: Countryside
セイント・オールバンズの街歩き
温かな陽気の中、(ロンドン北部と言ってしまいたいほどの距離の)セイント・オールバンズ (St Albans)へ。

ハートフォードシャーのシティ「市」であるセイント・オールバンズは、ロンドン中心部から真北へ上がったところにあり、その名を知らない英国人などいないほど有名な理由がいろいろある街。

日本人も多く住むヘンドンミル・ヒル・ブロードウェイから二つ目(10-15分)の駅であるセイント・オールバンズは、電車が一つ手前の駅をでると、間もなく、牧草地が広がり、それが切れるとセイント・オールバンズの住宅が見えてくるといった具合に、英国の都市計画法の一つである「グリーン・ベルト」(Green Belt* )によって、周囲を緑地帯に囲まれている郊外都市の風情を持っています。
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Green Belt* 放っておくと、どんどん都市化が拡大するため、文化財や自然(環境)を保護するため、都市をドーナッツ状に取り巻くように緑地帯を設置。住居はもとより、工場なども建ててはならない都市計画法。放っておくと、北ロンドンの住宅地群と地続きに繋がっちゃいます。

さて、セイント・オールバンズが有名である理由を順番にお話していきますと・・・

市の中心部は緩やかな丘の上にあり、戦後の建物が並ぶ新市街と、ローマ帝国2,000年前に築いた旧市街からなる坂の街。
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主な見処がコンパクトに街の中心部に集約されているため、街歩きに大変適したセイント・オールバンズ。

そのセイント・オールバンズの住宅価格は、国内平均価格を遥かに上回る物件で、セントラル・ロンドン以外では英国で最も生活費のかかる場所とみなされています。
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その理由は、鉄道はもとより道路網の至便さにあります。

紀元前、ローマ帝国支配時代のブリテン島で、ロンディニウム(現在のロンドンの旧市街「シティ・オブ・ロンドン」)の次に、北へ向かう陸路(ローマン・ロード)沿いの最初の大きな町として造られたローマ都市「ヴェルラミウム」(Verulamium)が、現在のセイント・オールバンズゆえ、ローマン・ロードの上に造られたA5、A1、ロンドンをぐるっと一周囲む環状線M25、そしてM1、ロンドンと北部を最速で結ぶ道路群がここで出会う地点なのです。

電車を使えば、各駅停車で、セント・パンクラス駅まで30分、シティ・オブ・ロンドンまで40分、そして、南のウィンブルドンやガトウィック空港、ブライトンまで乗り換えなしで行くことができる、ロンドンへの通勤距離。
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ローマ都市「ヴェルラミウム」(Verulamium)は、元々、定住者だったケルト系のヴェルガエ族を追い払って、彼らの集落「ヴェルラミオン」(Verlamion)があった場所に築かれたことに名前の由来があり、そこは現在、シティ・センターから坂を下っていったヴァー川沿いの「ヴェルラミウム公園」となっています。
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この公園内には、ローマ都市「ヴェルラミウム」の内と外の境界となる2,000年も前のローマン・ウォール(市街壁)の跡を見ることができます(三ヶ所あり)。
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そして、公園内には、古代ローマの床下セントラルヒーティングシステム「ハイポコースト」(hypocaust)も遺跡として残っています(Bathのローマン・バス・ミュージアムで似た物をご覧になった方が多いでしょう)。
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セイント・オールバンズには、エディンバラ、ノリッジ、ノッティンガム、オトリー、ロッチデイルに劣らないエールビールのパブが集まっていることでも名を轟かせており、現存するイングランド最古のパブ「Ye Olde Fighting Cocks」は、「ヴェルラミウム公園」の入口の前にあります。
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かつて、ここにはウォルター・ローリーが滞在したと言われています。
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シティ・センターから坂を一気に下って「ヴェルラミウム公園」を先にご紹介してしまいましたが、実は、その途中には、「クロック・タワー」、「聖オールバン大聖堂」、「セイント・オールバンズ校」という凄いものがあります。

中世(1403年)に建てられた「クロック・タワー」(Clock Tower)。
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正確にはタワーのほぼ向かい(目の前)なのですが、元々、ここには「エレノア・クロス」(Eleanor Cross**)が立っていました(1290年)。
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** エドワード一世がスコットランドと戦っていた時、リンカーンで亡くなったエレノア王妃の遺体をロンドンのウェストミンスター寺院まで運ぶ道中、12箇所で休息を取った(12夜)場所の一つということで、後に、その12箇所には、王妃を追悼する「エレノア・クロス」(ゴシック様式の十字塔)が立てられたという「埋葬への200マイル」のお話に出てきます。12番目のエレノア・クロスは、ロンドンのチャリング・クロスにレプリカが建っています。

セイント・オールバンズに建てられたエレノア・クロスは、風化が絶頂に達した1703年に、町の水汲みポンブに変えられ、今はもうありません。

さて、クロック・タワーの向かいのゲートハウスの路地の先には、ゲート・ガーデンがあり、「聖オールバン大聖堂」の主祭壇などが置かれる建物の東側にでます(聖地エルサレム方向を指すラテン十字の頭ということ)。
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チャーチ・ヤードをぐるっと回って、大聖堂の正式な入口である西の扉の所までくると、(大聖堂との繋がりを感じさせる)大きなと、門と一体化した「セイント・オールバンズ校」の建物が見えます。
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大きな門は、1360年代に建てられた修道院付き教会(現在の聖オールバン大聖堂)の修道院門で、現在、この門を含むセイント・オールバンズ校(St Albans School)は、948年創立の名門パブリック・スクール
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英語圏で唯一、後にローマ教皇となる人物が学んだ学校です(ハドリアヌス4世)。
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また、セイント・オールバンズ校出身者で一番有名なのは、「車椅子の物理学者」として世界に知られる英国人理論物理学者のスティーヴン・ホーキング (Stephen William Hawking, 1942年 - )氏。

なぜ、その名が英国全土に轟く「セイント・オールバンズ」なのか?! この街で最も重要な「聖オールバン大聖堂」のお話は、こちら
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by rie-suzuki67 | 2014-03-11 11:04 | :: Countryside
「英国と暮らす」 from LONDON by RIE SUZUKI apd2.exblog.jp