旬のロンドン便り From LONDON
by RIE SUZUKI, meet Britain
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カテゴリ::: The First in theW( 28 )
「チキン・‎ティカ‎・‎マサラ」と「カレー粉」は英国生まれ
エビチリが日本発祥の中華料理であるように、チキン・‎ティカ‎・‎マサラ(‎C‎hicken Tikka Masala)‎は、英国発祥のインド料理。‎
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カレー料理としては、至極一般的で、激辛(‎★★★★★‎)‎でもなく甘く(‎☆☆☆☆☆‎)‎も なく、(‎インド料理は、英国の超国民的料理であるからと、インディアン・‎レストランに連れて行かれて)‎メニューを見てもチンプンカンプン‎という方にお薦めですが、、、

‎今週、私は、自宅でですが、5日連続でチキン・‎ティカ・‎マサラ(‎★★★☆☆‎)‎を食べています‎!!理由は、頭も体も切れが悪く気分が落ちているので、>>刺激<<を与えて活力を得るため(笑)

インド人は複数のスパイスを使いこなしますが、普通はそうはいきません。そこで、カレー粉を発明、商品化し、広く全英に販売したのが、クロス&ブラックウェルという二人の英国人(‎カレー粉のブランド名は「C&B」、スーパーで'Curry Powder'商品としてみますよね‎)‎。

そして、このC&Bカレーは、日本にも輸出され、C&Bカレーに魅せられて、日本初の純国産カレー粉を開発したのが‎山崎峯次郎。‎現エスビー食品の創業者です。

私は、スパイス・‎セットもCurry Power‎も使いこなせないので、できている缶詰ソースを買ってきます。

加えて言うなら、日本のカレーのルー、'ルー'ですよ!ルー、あれは凄いので皆びっくりしますが、広くカレーと呼ばれるものとは別味で(‎Chinese Curryと呼ばれているカレーの類で)‎、只今の私にはスパイス違いで刺激が足りないのですm(_ _)m‎

元気になってきたかな~。
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by rie-suzuki67 | 2016-10-30 05:46 | :: The First in theW
モダン車椅子の先駆品を発見!
ハムステッド・ヒース(Hampstead‎ Heath)をお散歩・・・
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丘に建つケンウッド・ハウス(Kenwood House)前の白木蓮が綺麗に咲いています。
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魅力的な歴史、(食器のウェッジウッドに代表される)新古典主義の建築、ギネス伯(ギネスビール創業者)の絵画コレクション。。。と素晴らしいのですが、映画「ノッティングヒルの恋人たち」や、実際にここで育った黒人女性の映画‎「ベル― ある伯爵令嬢の恋―」‎のロケーションでもあります。
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この屋敷で、今まで気づかなかったものを発見!

車椅子の歴史は紀元前500年のギリシャまで遡りますが、自走式の現在の車椅子に、より近い形のモダン車椅子は、1750 年ここ英国で誕生しています。

ケンウッド・ハウスには、その初期の車椅子があったのです!
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'Gouty' chair, made by John Joseph Merlin, Georgian England, a forerunner to the modern wheelchair.
ジョージアン朝 = 1714-1830、なので。うおー!
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でも、Gouty「痛風」ってことなので、痛風で痛くて歩けない人が用いた椅子ってことですね(汗)
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by rie-suzuki67 | 2016-03-04 07:37 | :: The First in theW
スパークリング・ウォーターは英国生まれ
「酸素」の発見者は、今では、1771年スウェーデン人薬剤師カール・ウィルヘルム・シェーレとされていますが、スウェーデンで静かに暮らしていた彼に世界は気付かず、彼自身も発見をすぐに学会に発表せず。

よって、化学史上(1774年)の酸素の第一発見者としての地位は、英国人ジョセフ・ プリーストリー(Joseph Priestley)。

そのジョセフ・ プリーストリー、実は、酸素を発見する前からブクブクと泡の出る水(炭酸水)の発明者としてヨーロッパでもすでに有名でした。
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ウェストヨークシャーリーズ近郊バーストール生まれの、生涯を通じて学者、教育者であったジョセフ・プリーストリー。

1767年、リーズに住んでいたジョセフ・プリーストリー。お隣にはビール醸造所。プリーストリーは、醸造の際に発生するガス(二酸化炭素)を使って、あれこれと実験を行います。二酸化炭素は、1750年、英国スコットランドの化学者ジョゼフ・ブラック(Joseph Black)により発見され、「Fixed Air」(動かない・固定された空気)と名づけられていました。

プリーストリーは、このFixed Airを水に混ぜて、それを飲んでみたんですねー(いい度胸しています)。化学者にありがちですが、この爽快な口当たりの水をビジネスに結び付けてお金儲けをしようとは思わなかったんです。
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ビジネスチャンスとばかりに目を付けた人物こそが、スイスに住んでいたドイツ人の時計技師ヨハン・ヤコブ・シュウェップ。(そう、今ではトニックウォーターで有名なあのSchweppesです!)

時計技師だったのにシュウェップは、ジュネーブで炭酸水を大量生産してボトルにつめ、商業化する事に成功し、1783年に、清涼飲料水の老舗シュウェップス(Schweppes)社を創立。1792年には、ロンドンに工場を設立。時計技師から大転身ですよねー!プリーストリー、様様!

こうして、スパークリング・ウォーターは、日常的に気軽に飲める飲料水として世に送り出されることになりました。
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by rie-suzuki67 | 2015-08-30 04:43 | :: The First in theW
セ ルフリッジとパディントンの(深い)関わり
セルフリッジ百貨店が、なぜ、大々的に映画「Paddington」(パディントン)を後押しして、特設販売コーナーを設けたり、ショーウィンドも「パディントン・ベア」のディスプレーにしているのか?という、両者の関わりについての話。

オーチャード・ストリートからオックスフォード・ストリートへ出る手前。左がセルフリッジ百貨店、右がM&Sの建物(↓)
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今年9月、世界初のデパート内映画館をオープンさせたセルフリッジ百貨店。地階一階の売り場に入り口がありますが・・・(↓)
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映画「Paddington」を上演中(↓)。上映スケジュールのパネルなんかもあります。
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英国には有名なクマがいろいろいますが、その筆頭は「くまのプーさん」でしょう。この物語のベアは、1921年、作者アラン・アレキサンダー・ミルンの息子クリストファー・ロビンが一歳の時に、母親からプレゼントされたハロッズ百貨店で購入したハロッズ・ベアがモデルになっていますが・・・

「パディントン・ベア」も、同様で、元BBCのカメラマンであったマイケル・ボンド氏が、1956年に、セ ルフリッジ百貨店で、一つだけ棚に残っていたクマのぬいぐるみを、奥さんへのプレゼントとして購入。

このクマのぬいぐるみと、家の近くのパディントン駅からインスピ レーションを得て、同年、執筆に専念することを決心します。

この時、使用した(第一作目のA Bear Called Paddingtonが書かれた)タイプライターが、ロンドン博物館に展示されています。

1950年代という戦後間もないロンドンの様子を垣間見ることのできる第一作目。

A.A. ミルンの家はチェルシー、マイケル・ボンド氏の自宅はパディントン駅の裏手。両作家とも、家の近くのデパートで購入したベア・・・というところがいいですねっ!
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by rie-suzuki67 | 2014-12-08 06:07 | :: The First in theW
英国海軍発祥の「ダッフル・コート」と英国紳士「パディントン・ベア」
11月28日、今年のクリスマス映画として実写による「パディントン・ベア」の物語が封切られます。

セルフリッジ百貨店の一角には、プロモーションを兼ねた販売コーナーが設けられ・・・
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予告映像や(itvドラマ「ダウントン・アヴィー」でお馴染みの)俳優ヒュー・ボネヴィル(Hugh Bonneville)のインタビューなどが流れています(彼は、Mr. ブラウン役)。
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1958年に、英作家マイケル・ボンド作のパディントン・ベア シリーズ第一作「A Bear Called Paddington」が出版され、第二作、第三作・・・と続きました。
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パディントン・ベアのイメージを成すアイテムといえば、大好物のマーマレードサンドウィッチと・・・
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幅広で前がキュッと上がった帽子とスーツケース、ダッフル・コートウェリントンブーツ
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でも、最後の二つはブラウン夫妻によってプレゼントされたものなので、元々、ペルーから密航してパディントン駅に到着した時には、(決して離したがらない、かなり傷んだ)ペルーのおじさんの帽子とスーツケースしか持っていませんでした。

ゆえに、映画のパディントン駅のシーンは、(原作の挿絵どおり)裸です。

ダッフル・コートウェリントンブーツ・・・、ブラウン夫妻は、トラディショナルな英国人です。
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そして、パディントン・ベアも、常に礼儀正しく、善意の人であり、際限なくトラブルに巻き込まれますが、それでも「物事を正しくしようと多大な努力をする」、外見も中身もまるで英国紳士のキャラクター。

さて、今日の主題は、ロイヤル・ネイヴィー(英国海軍)がその発祥と言っても過言ではない「ダッフル・コート」(duffle coat)。
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「ダッフル」(duffle)、その名前は、使用されている防寒に優れた厚手のウールの布地の原産地であった、かつてのフランダース地方(現在のベルギー、アントワープ近郊)の都市デュフェル(Duffle, 英語発音:ダッフル)からきています。1600年代、デュフェルは、この布地で栄えます。

この布地を使った、防寒性のある、そして、利便性を考えデザインされたコート「ダッフル・コート」は、第一次世界大戦で、英国海軍によって使われ始めました。第二次世界大戦では、それが、更に改良されたものになります。
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テムズ河に停泊し、現在は博物館になっている HMS Belfast(国王戦艦ベルファスト号)などのパンフレットに載っている写真などが参考になりますが、寒い北方の海での任務にあたる艦上では、乗組み員から上官まで、皆、ダッフル・コートを着ています。

戦争博物館(Imperial War Museum)では、英国海軍のクラシックなダッフル・コートが販売されていますが、本来の英国海軍のダッフル・コートの特徴は(現在も、良いダッフル・コートと呼ばれる条件は):
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もちろん、本物のダッフル布地を使っており、帽子の上から被ることができる大きなフードを備え、制服やコートの上から更に羽織れるよう、非常にゆったりした、たっぷりの作り。

前部は手袋をしたままコートを脱着できるよう(ボタンではなく)木製トグル(toggle)を使用し、トグルと対になる麻紐ループで留めるのですが、前合せの右前・左前を簡単に入れ替えることもできる。

伝統的な色はキャメル色(現在は、黒、灰色でもグッド)。深い角ポケット。首のまわりを閉めるボタン付きのストラップがついている。

裏地は本来、無いのですが、現在は裏地がタータンであればベスト。

そして、現在の市販の多くとの大きな違いは、膝丈であること。現在、デザイン的に可愛らしいイメージなのは、丈が短すぎるからですね。
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本来は、もっと、長くて膝丈なんです。ゆえに、ダンディーな着こなしができ、その代表的な人物がモンゴメリー元帥・男爵(Field Marshal Bernard Law Montgomery, 1887-1976)。

彼のニックネーム "Monty" から、ダッフル・コートは別名 "Monty Coat" とも呼ばれています。

さて、英国海軍で防寒着として広く使用されたダッフル・コートですが、一般化したのは、大戦後、余剰在庫品が市場に出回ったことにより。

パディントン・ベアの出版年が1958年ですから、この当時はとてもブームだったと想像します。
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by rie-suzuki67 | 2014-10-23 06:58 | :: The First in theW
初期の労働組合「トルパドルの殉教者」
通常、英語のマータ、マーターズ(martyr, martyrs)を日本語に訳すと「殉教者」となり、宗教的な信仰のために処刑されることをイメージしますが、意味は幅が広く、人種的な問題で暗殺されたり、立場的な状況で投獄されたりと、とかく、何らかの事に対して(異議を唱えて)起こした活動に対して何がしかを被ってしまう「犠牲者」という意味があります。

「トルパドルの殉教者」(Tolpuddle Martyrs)として知られる男たちは、英国の初期の労働組合の歴史として、最もよく知られている犠牲者としてのケースです。

資本主義国で今ではあたりまえとなった労働組合(Trade Union)は、英国が発祥国

労働組合の歴史は1700年代後半のイギリスの産業革命に遡り、その起源はパブで生まれたものと言われています(労働の後の不満や愚痴をこぼす場所であったからでしょう)。

まず、トルパドル(Tolpuddle)というのは、ドーセット州(Dorset)のドーチェスター(Dorchester)の近くの村で、1833~1834年に大きな組合活動の波が押し寄せた場所。それは(産業革命の工業ではなく、農業の分野で)農業労働者組合(フレンドリー・ソサエティー・オヴ・アグリカルチュラル・レイバラーズ)が結成されたところでした。
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ロンドンのキングス・クロス駅の傍にコペンハーゲン・ストリート(Copenhagen Street)という道があります。

駅と隣接する真北のエリアは再開発されて多くの人が訪れる場所になりましたが、道を隔てただけの隣の区画であるコペンハーゲン・ストリート周辺(運河博物館の北側)は、カウンシル・ハウス群の密集地帯ゆえ、決して、(散歩の)お薦めはできないのですが・・・
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コペンハーゲン・ストリートからエドワード・スクエア(Edward Square, 公園)に入るための入り口のところのには、「トルパドルの殉教者」の処置に異議を唱えるデモ行進の場面が描かれています。
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ロンドンに住んでいたドーセット・コミュニティが25万人の抗議の署名を行い、30,000人が農業労働者を支持するデモ行進をホワイトホール(現在もデモ行進のメッカである官庁街)に向かっておこなった場面です。

沿道でも、声援をおくる人々。(行進だけでなく、トルパドルの村人の暮らしも描かれています)
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このトルパドルで結成された農業労働組合は、加盟するには1シリング(5ペンス)の会費と、骸骨の絵の前で組合の秘密を決して他言しないという誓いを立てることが必要でした。

初期の労働組合というのは、秘密結社扱いされてしまうか、または、団結禁止法との対決、という様相。

トルパドルの農業労働者は、1週間7シリングの賃金の中で貧困の生活をしており、10シリングへの賃上げを希望していました。ところが逆に賃金は週6シリングに切り下げられたのです。

ウィッグ党政府は、国の労働階級の不満の高まりに懸念を持ちます。政府とジェームズ・フランプトン率いる地主たちは、組合をたたきつぶし、不満の高まりを抑えようと決心します。

6人(ジョージ・ラブレス、ジェームズ・ラブレス、トマス・スタンフィールド、ジョン・スタンフィールド、ジェームズ・ハメット、ジェームズ・ブリーン)の労働者は、表面上はその結団式での違法な誓約行為を行ったかどで逮捕されましたが、本当の理由は、彼らが少ない賃金に対して、抗議運動を起こそうとしていたからです。

時の首相である第2代メリルボーン子爵 ウィリアム・ラム(William Lamb, 2nd Viscount of Melbourne)も、組合運動に激しく反対しており、1834年3月に、6人の農場労働者が組合活動をしたという理由で流刑植民地であるオーストラリアに7年間流刑という判決が出た時、その判決に異議を唱えませんでした。
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裁判の後、多くの大衆抗議会合が開かれ、国中でこの判決に対する騒動が持ち上がります。そこで囚人たちは、すぐさまオーストラリアに送致されました。

世論がこれに強く反発し、 人々はこの扱いに怒り、25万人が抗議の署名を行い、30,000人が労働者を支持するデモ行進をホワイトホールに向かっておこなった後で、判決が差し戻されました。

1836年、6人は特赦と無償の帰国が認められ、1837~1839年の間に全員が英国へ戻され自由の身になりました(病気などで死ぬことなく生きて戻ってこれただけでも不思議)。

殉教者の2人は英国の農園に落ち着き、4人はカナダに移住しました。

殉教者たちが、かつて、落ち合ったという木の下。その木は、今や、大変古くなり切り株だけになってしまいましたが、「殉教者の木」(The Martyrs’ Tree)として知られるようになると、トルパドルの巡礼の地となります。
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1934年、ロンドンの裕福な服地商サー・アーネスト・デベナム(Sir Ernest Ridley Debenham, 1865-1952)によって、この切り株となった木に、記念のベンチと屋根が建てられました。

因みに、この服地商デベナム氏は、現在は百貨店Debenhamとして知られている、あのデベナムの経営者。祖父と父のビジネスを次ぎ、現在のような百貨店Debenhamへと拡大させた功労者。

まさに、時代は、セルフリッジ、ジョン・ルイスの歴史からもわかるように従業員(労働者)の権利が浮き彫りになり、ストライキも起こっている時。

追加として、キングス・クロス駅とエンジェル駅の間には、実際にその名を持つトルパドル・ストリート(Tolpuddle Street)という道もあります。
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by rie-suzuki67 | 2014-10-02 05:46 | :: The First in theW
回転木馬のトリビア
日本語の「時計回り」という言葉は、英語でも「クロックワイズ」(CW / Clockwise)と言い、同じく時計を用いた表現方法で「右回り」のことですが、皆さん、回転木馬の回転方向は、西欧とアメリカでは異なることをご存知でしょうか?
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「時計回り」(右回り)と「反時計回り」(左回り)というのは、奥深い!そして、回転木馬も奥深い!と感じている昨今。

ロンドン・アイ観覧車のお隣に設置されている回転木馬の写真をご覧いただきながら、お話を聞いてくださいね。
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まず、なぜ、右回りのことを「時計回り」(Clockwise)、左回りのことを「反時計回り」(Counter clockwise/ Anticlockwise)と(時計を用いて)言うのか? ようは、時計の針は、どうして時計回りの方向(右回り)になったのでしょうか?

それは昔、北半球で作られた日時計は、太陽の影右回りに回ったからです。機械式の時計が発明された後も、この回転方向は継承され現在に至っています。
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しかし、南半球の日時計は、正午12時の影は北極方向ではなく南極方向。回り方も逆回り。昔から北半球の方が文明開化(発明)が先をいっていたので、北半球のそれが機械式時計へと受け継がれたわけです。

南半球の子どもに、日時計は反時計回りなのに、時計は時計回り・・・説明するのが面倒ですね。
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さて、本題の「回転木馬」。英国での名称は「メリーゴーラウンド」(Merry-Go-Round)と言うのが一番一般的で、もちろん、カルーセル(Carousel)も使います。アメリカでは逆にカルーセルが一番一般的で、メリーゴーラウンドも使うという感じでしょう。

Merry-Go-Round は、直訳すると「楽しく回ろう!」というような意味からきた名詞で、ride on a merry-go-roundという言い方。

日本語の「メリーゴーランド」は、日本語として変化してしまった和製英語です。

また、英国では、歩行者天国のハイストリートなんかでみかける音楽付きの子ども向けの数台しか搭載していない小さな回る乗り物(馬とは限らず、車だったりパンダだったり)をラウンドアバウト(roundabout)と呼び、メリーゴーラウンド(Merry-Go-Round)と区別しています。
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1860年頃、フランスで馬上試合に由来するスポーツの練習機として作られたのが始まり。

その後、英国人のフレデリック・サベッジ(Frederick Savage 1828-1897)が、蒸気動力(steam power)によって円盤を回転させ、クランクで木馬を上下させる装置を作り現在に至っています。

1890年頃に造られたヴィンテージ物のメリーゴーラウンドを使っている移動遊園地も英国にはあり、それがやって来るとなると「行かなければ!」という気にさせられます。そういうものを語る時は、"galloping horses Carousel" とか "steam-powered Carousel"、または、"gallopers" という言い方をし、まさに、「元祖英国」を感じさせる響きが Galloping/Gallopers。
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フレデリック・サベッジ氏は、エンジニアですが、フランボワイアン様式(Flarnboyant)の影響を受けているらしく、昔懐かしい英国の "galloping horses" は、火炎のような派手な様相です。
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大抵、34頭前後の馬と、小さな子とものための箱乗り物が2台という、どうこまで行ってもメリーゴーラウンドは「馬」が主役です。

そして、ヴィクトリアン・スチーム・エンジンならではの蒸気動力で動くガヴィオリ・オルガン・ミュージック(Gavioli organ music)という夢のような世界をメリーゴーラウンドに与えます。

なので、これにもちゃんと、中央に、キャビネットに収納されたパイプ89key自動オルガン(もどき)がついています(↓)
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ヨーロッパや英国製のメリーゴーラウンドの回転方向は、時計回り(右回り)で、アメリカ製反時計回り(左回り)だということをご存知でしょうか。

日本の遊園地にあるメリーゴーラウンドの場合、日本国産は(ヨーロッパ&英国と同じ)時計回りですが、輸入品は反時計回りだそうです(アメリカから輸入しているということ)。

左右学というのは、人類永遠のテーマ。

自転車と同じで、左側から乗り込む方が易しい(慣れている)からという右利きの法則から、ヨーロッパ&英国、そして、日本では、時計回りなんです。

乗り込む時を考えると、色々な遊具は「時計回り」に作られていることが多いです。
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例えば、(遊具ではありませんが)ロンドン・アイ観覧車も、乗り込み口にたいして時計回りに回転しています。こういうものは特に、動いているものに(焦らず、速やかに、右手を添えて)乗り込むわけですから尚更。

やはり、左利きには不利ですね。

でも、日本では、左利きを矯正したりしますが、英国では左利きが五万といます。友人と食事をしていても、仕事仲間のメモを取る腕も、映画のシーンでも、堂々と左利き。右利き優位の文化はありませんから、こういう現実的なところで本音がでるのでしょうか?

因みに、陸上トラックは、反時計回り(左回り)です。

これは、右利きの人がトラックに対して足(右足)を踏ん張りやすいからだそうです(良いタイムが出せるのが左回り)。でも、他の理由として、心臓が左寄りについているから、遠心力に対して心臓が内側にくる左回りが体に優しいとも言われています。
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by rie-suzuki67 | 2014-09-12 07:15 | :: The First in theW
ATM の発明家
土曜日、セント・パンクラス駅とキングス・クロス駅に面する裏手の広場(↓)
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さて、日本向けに ATM と書きましたが、英国では通常 Cashpoint(又はcash machine)と呼ぶ「現金自動支払い機」。

ATM (アメリカ、オーストラリア、シンガポール、そして日本など)
ABM (英語圏のカナダ)
Cashpoint (英国)

英国で「ATM... ATM...」と言って、どれほどの人に通じるか?誰もすぐには現金自動支払い機のことか?! と察してはくれない気がします。

去年の暮れ頃だと思いますが、セント・パンクラス駅のキャッシュポイントには「ATM」の表示がつけられました。
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大陸と英国をダイレクトに結ぶユーロスターの発着駅だから、旅人に優しいのでしょう。

さて、この ATM/Cashpoint を発明したのは、どこの国の人でしょうか?

いつも言いますが、「発明」と問われた時は、とりあえず「スコットランド人」と答えておくと、かなりの確立で当たります!(そのお話は徐々にしていきますが・・・)

このキャッシュポイント、(現地通貨であるポンド札だけでなく)ユーロ紙幣が引き出せるものもあります(右側の機械)。
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ユーロ紙幣が引き出せるキャッシュポイントは、(知る限りでは)鉄道の「パディントン」駅構内、地下鉄「ピカデリー・サーカス」駅構内、そして、「ピカデリー・サーカス」駅から地上に上がってすぐのシャフツベリー・アヴェニュー沿い(日本食料品店「ジャパン・センター」の並び)の壁にあります。

そして、とうとう、我が町内のハイストリートにも、5ポンド札が引き出せるキャッシュポイントが設置されたことに気づき、ちょっとショック!
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英国のキャッシュポイントで引き出せる最低金額10ポンド(札)。現在の為替でいうと1,700円ぐらい。

生活保護を受けている人や低所得者が多く住むエリア(ようは、カウンシルハウスが建ち並ぶエリア)では、一回あたり引き出したい金額が 10ポンド以下であることから、8年ぐらい前でしょうか・・・、そうした所得層のエリアには5ポンド(札)が引き出せるキャッシュポイントの設置を開始する、とニュースで報じていました。

私の住んでいる町内、全くもってそんな場所ではないのですが(大体、ハイストリートに設置されているし・・・、とはいえ)結構、ショック。

為替を無視すれば、既に私は、1ポンド100円、5ポンド500円、10ポンド1,000円という感覚になっているので、「500円(札)一枚を下ろすためにわざわざ立ち寄る」・・・今のところ、それはあり得ないのですが、誰かに渡すお釣りなどが5ポンドだったら(コインではなく)お札でと思うので、そういう時には便利かも。

ATM/Cashpoint の発明は、スコットランド人のジョン・エイドリアン・シェパード=バロン(John Adrian Shepherd-Barron, 1925-2010)。
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4年前に英国・スコットランドのインヴァネスで84歳の生涯を閉じられました。

彼の父 ウィルフレッド・シェパード=バロンは、英国土木学会の会長。母ドロシー・シェパード=バロンはオリンピックで銅メダルやウィンブルドン選手権で優勝しているテニス選手。

で、当の本人 ジョンは、エディンバラ大学とケンブリッジ大学(トリニティ・カレッジ)卒。

1960年代に、ジョンはデ・ラ・ルー(De La Rue plc)に入社。デ・ラ・ルーといえば、高度なセキュリティ印刷技術を持ち、世界9ヶ国150種以上の紙幣製造を請け負う英国企業。かつては、スイスの紙幣も製造していたほど。

ジョージアン朝の1821年、トーマス・デ・ラ・ルーが、文房具商 → 印刷工 → 小間物屋として創業。ヴィクトリア時代には、英国王室御用達トランプ切手、そして、1860年 紙幣の印刷を開始。折り紙つきの老舗企業です。

1967年6月、彼がちょうどデ・ラ・ルーの常務取締役になった頃、バークレイズ銀行のエンフィールド支店(ロンドン)の表の壁に世界で初めての(シェパード=バロンの)ATM/Cashpoint 1号機が設置されました。
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Enfield といえば、数年前の暴動で、SONY の工場が放火されて炎上している様がニュースで映し出された場所です。

この頃から、キャッシュポイントは通りに面した(↑)に設置されたのかー!(hole-in-the-wall)、それじゃ仕方ないと諦めがつきます(英国の ATM/Cashpoint は、路上の建物などの壁に、むき出しであります)。

当初のこの ATM/Cashpoint は、磁気ストライプカードが登場する以前のものですから、炭素14 (carbon-14)という放射性物質を染み込ませた特殊な小切手を機械に読み込ませ、キーパッドで暗証番号(4桁のPIN)を入力する方式でした。
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はじめ彼は、暗証番号は6桁を想定していましたが、妻の助言(妻が私の記憶力では覚えられない!と言ったこと)により4桁に変更されたことで、それは現在に繋がっています。

それ以前の1939年に、アルメニア系アメリカ人 Luther George Simjian がキャッシュ・ディスペンサーを可能にする発明(的)先駆けを行っていますが、コンセプトが受け入れられず、結局、「重要な点は、実際に設置された最初の ATM/Cashpoint がシェパード=バロンのものだったという点である」という見解の発明です。
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同様に、元々、暗証番号(PIN)技術を発明したスコットランド人のジェームズ・グッドフェロー(James Goodfellow, 1937-)は、それを用いた(シェパード=バロンとは異なる)設計の ATM/Cashpoint を開発しており、こちらの方が、(シェパード=バロンのものより)現代の ATM/Cashpoint に近いのですが、重要な点は、実際に設置された最初の ATM/Cashpoint がシェパード=バロンのものだったという点である、という「発明」の宿命。

今では、全世界で170万台以上の ATM/Cashpoint が稼動しており、この功績により、シェパード=バロンは、亡くなる5年前の2005年に大英帝国勲章を受章しています。

もちろん、ジェームズ・グッドフェローも、暗証番号(PIN)技術を発明した功績により、大英帝国勲章を受章しています。
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by rie-suzuki67 | 2014-04-27 09:54 | :: The First in theW
人間は原点に戻ることが好き
本題に入る前に、よいお天気が続いているロンドン(↓)
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ここには(↑)噴水があって、サマータイムの期間中は、一時間おきに、大きな水しぶきが10分間ほど上がります。すると、子どもたちは、水しぶきを浴びて、びしょびしょになりながら大はしゃぎ!(↓)
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さて、本題。今まで気がつかなかっただけかもしれませんが、最近、とみに、「地面蹴り自転車」の幼児を見かけます。

ようは、ペダルがない状態の自転車なのですが、見ていると、(足だけかなりのハードワークという感じではありますが)「上手いもんだ!」と子どもに感心します。
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座っているんだか、立っているんだかわからない状態で、地面を両足で交互に蹴り、時折、その勢いで両足共に地面から離してスーッと滑っていく。
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で、思い出したのは、人類初の自転車。同時に、(大変、失礼ながら)「小猿原始に帰る」なんて、見かける度に、頭の中で呟いたりしています。

二輪自転車の祖先に当たる乗り物は、1817年に発明されたクランクやペダル、チェーンといった駆動装置のない、足で直接地面を蹴って走る木製の乗り物。

まさに、現代の幼児、二輪自転車の原形に乗っているんです。

自転車の歴史を語る時、世界でも、群を抜いて自転車の発展情熱を燃やした英国人たちということで、このことは、以前、「自転車メーカーのパイオニア」でご紹介しました。

先日、お仕事で、久しぶりに「フリーメイソン・ミュージアム&ライブラリー」を訪れた際に、(その近所にある)世界初の近代自転車を発明したデニス・ジョンソン(Denis Johnson, 1760-1833)という馬車製造職人の「緑の銘札(Green Plaque)」を持つ建物の前を通りました。
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コヴェント・ガーデン地区の主要産業が馬車製造であった時代、彼は1818年から(亡くなる)1833年までここで、自転車に情熱を燃やし続けました。
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数年前、この建物の一階はショーウィンドウにケーキの並ぶカフェだったのですが、まさに、自転車屋さんになっていました。(デニス・ジョンソンとは全く関係のない自転車屋さんですが)
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ショーウィンドウには、ウェストミンスター区役所が建物につけたグリーン・プラークと同じものが、ディスプレーされていました。
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by rie-suzuki67 | 2014-04-17 01:36 | :: The First in theW
世界初のソフト・トイレット・ペーパー
英国で暮らしている人なら、誰でも知っているトイレット・ペーパー・ブランド "Andrex"

"Andrex Puppy" と呼ばれる子犬がシンボル。
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※現在、Andrexは、"Kleenex""Scott"ブランドを有するアメリカ企業キンバリークラーク(Kimberly-Clark)の傘下に入っていますので、オーストラリアなどでは(Andrex Puppyは)Kleenex Puppyと呼ばれています。

私はいつもトイレット・ペーパー売り場でAndrex商品を目にする度に、その功績に、一応、大きな敬意を表した上で、他のメーカーの商品を買っています(笑)
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その功績とは・・・というお話。

西ロンドンにウォルサムストー(Walthamstow)という名の地域があります(ロンドンzone3)。

ウォルサムストーといえば、ウィリアム・モリスが生まれた、そして少年時代を過ごした場所で、その家は現在「ウィリアム・モリス・ギャラリー」になっていて・・・
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また、英国初のモーターカーが発明された場所。更には、英国初の航空機が空にテイク・オフした場所という具合に、記念すべき出来事をたくさん持っているウォルサムストー。

実は、1942年、ウォルサムストーの Blackhorse Lane から St. Andrews Road に折れた場所にあった小さな製紙工場 St Andrew Mills Ltd が、2枚重ね(ダブル)のロール状ソフト・トイレット・ティシューを世に送り出しました。

歴史的な発明・出来事の現場として、何度なく登場するウォルサムストーのBlackhorse Lane、去年のロンドン・オリンピックの開場に選ばれ開発が行われたストラトフォード(Stratford)と同じリー川(River Lee)に面した古くからの工場地帯を伴い、汚染された人が住めたものではない、また、治安もいいとは言えない場所で産声をあげた世界初のソフト・トイレット・ペーパー。
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それはさておき、それまでの粗悪な紙が、如何に切り難く一枚仕立ての硬いトイレット・ペーパーだったかを想像させるように、Andrexのダブル・ロール・ソフト・トイレット・ティシューは、ソフトで切り込みも入っていました。

戦後、ビジネスは大きく花開き急成長を遂げます。

工場は、その後、湖水地方のすぐ下、カンブリア地方のBarrowに移転。しかし、その歴史的な現場となった通りの一辺はPaper Mill Placeという名前に改名され、今はアパート(flats)が建っています。

>> 紀元前からのトイレットペーパーの歴史はこちら。
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by rie-suzuki67 | 2013-09-23 05:54 | :: The First in theW
「英国と暮らす」 from LONDON by RIE SUZUKI apd2.exblog.jp