シティの権威のシンボル 'London Stone' |
ロンドン発祥の地「ザ・シティ」。 ロンドンの街の起源は、紀元47年にローマ人が、ブリタニア(=英国)支配の拠点として、現在の金融街「ザ・シティ」(世界三大金融市場の一つ)に「ロンディニウム」(Londinium)という町を建設したことに発しており、その後、町の防衛のため市街壁(London Wall)が築かれます。 現代においては観光客で賑わうウェスト・エンドが、単に壁の外でまだ草原でしかない遠い昔のことです。 キャノン・ストリート駅(Cannon Street)を出たら向かいのビルを見てみてください(若干、右方向)。神秘に包まれた「ロンドン・ストーン」が建物の壁に設置されています。 一説によれば、ローマ人がここブリタニアを測量するのに用いたといわれています(ブリタニアの全ての距離を測る)。 シェイクスピアやチャールズ・ディケンズも、自身の作品の中でこのロンドン・ストーンに触れる程、シティの権威のシンボルとして認識されていました。 1450年、バラ戦争の発端となるジャック・ケード(Jack Cade)に率いられた農民一揆がケントとサセックスで起こり、一時ロンドンを手中に治めますが、彼がロンドンに入った時、元々この石の前は公式の宣言(発布)が行わる場所であったことから、統治権のシンボルであるこの石を逆に剣で打ちつけ勇気つけにしようとします。末路はというと、後は処刑場へ一直線みたいな末路、という迷信のような話が残っています。 この石、第二次世界大戦までは、すぐ傍にあるSt Swithin's Church の外壁に設置されており、今よりも、もっと大きな石でした。 ロンドン塔のことわざ(神話)に、「ブルータスの石が長く安全であれば、ロンドンも長く栄える」という言葉があり、これは、石が(ロンドンを創った伝説の)トロイの王子ブルータスによって作られた祭壇の一部であるという逸話があるからです。 さて、週末のシティは、人気も車も疎らで静かです。登録人口は3,000人に過ぎないシティですが、平日の昼間の人口は30万人も働く活気に溢れたビジネスエリア。週末の方が好きでして・・・ 最近のロンドンでは、公園や車道の花壇でチューリップ(Tulip)をよく見かけます。チューリップと聞くとオランダを連想するでしょうが、チューリップは、元々、トルコ原産の花で、イスタンブールに駐在していたオーストリア大使によってヨーロッパに紹介され、世界的に広まった花です。 大使がこの花の名前を尋ねた時、「チュルバン(頭に載せるターバン) に似ているもの」と言われたために、 それが花の名前になりました。400年前のヨーロッパでは、チューリップの新品種を投機の対象にしたため、今日では、本当に多くの種類と系統があり、数え切れないほどの改良品種が誕生しています。 そして、そんなシティからホルボーン方向へ、ミュージカル「グリース」(Grease)の風船をつけたブラックキャブが車列を組んで何台も通過して行きました。 車の中には、どれも子ども達が乗っていて、歩行者に「ハロー」と声をかけながら楽しげ・・・。何の催しだったんでしょう? |
by rie-suzuki67
| 2008-04-06 08:08
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