旬のロンドン便り From LONDON
by RIE SUZUKI, meet Britain
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カレッジ巡り
オックスブリッジ(オックスフォード&ケンブリッジ)は共に、「町の中に大学があるんだか?」「大学の中に町があるんだか?」・・・というほどカレッジが密集しているので、一つカレッジ見学をしたと思ったら、お隣も、そのまた隣も、別のカレッジ。

「オックスブリッジ観光」とは、(いずれを訪れにしても)カレッジ巡りに他なりません。
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ゆえに、何の情報もなし初めてぷらっと訪れる場合、名門中の名門と呼ばれる有名な2, 3のカレッジをまわれば、「もう結構!」という具合に、飽きます

タウンセンターの雰囲気だけを味わうのも貴重ですが、楽しくカレッジ巡りをするコツは、「故人に思いを馳せること」と思っているので、ケンブリッジをこれから、または再び訪れようという時のご参考にしていただくために、(脇道にそれることなく、最も小回りにくるっと一周して戻ってくる)幾つかのカレッジをご紹介します。
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通常、学生(アンダーグラデュエイトの学生)は、クリスマス休暇、イースター休暇、長い夏季休暇の三度の休暇の期間は、カレッジの部屋(寮)「明け渡して(vacate)」、家に帰るのが古くからの規則。

英語の「休暇(vacation)」は、そこから発しているので、通常、大学の休暇期間など公的な制度と結びついた場合にのみ用い、それ以外の休暇は 'Holiday' を使うのが一般的です。

長い夏季休暇中は、学生さんがいないので、各カレッジの建物の中も見学できますが、授業期間中は、(建物内には入れないものも)ゲートの先にあるフロント・コートだけは見れる、または、コートに入って散歩するぐらいはできます。

因みに、四方を建物に囲まれた四角形の中庭のことを、オックスフォード大学のカレッジ群では「クアドラングル(Quadrangle), 略してクオッズ)」といい、ケンブリッジ大学のカレッジ群では「コート(Court)」といいます。※余談ですが、オックスフォードに近いウィンザー城の中庭も「クアドラングル(Quadrangle」。
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また、一般的に、大学の敷地のことを「キャンパス (campus)」と言いますが、大学の敷地のことをキャンパスと言い始めたのは、アメリカのプリンストン大学が初めてで、それよりも遥かに古い(それ以前に設立されたオックスブリッジにおいて は、「キャンパス」という表現が用いられることはありません。オックスブリッジでは、大学の敷地を表す用語としては、「サイト(site)」が用いられます。



クライスト・カレッジ

ケンブリッジのタウンセンターに着いたなら、まず、下りたバス停の目の前にあるこのカレッジに目がいくことでしょう。
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ジェームズ1世から贈られた桑の木の下でまどろみながら、ジョン・ミルトン(John Milton)は詩作に耽り、後には、「種の起源」のチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)が、その庭で “狂ったようにかぶと虫を蒐集していた”という彼らの出身校です。

ダーウィンが学士号をとったのは、神学。英国国教会の牧師になるために勉強していたんです。「種の起源」を発表する際は、信仰と科学の狭間で随分と苦しんだそうで、敬虔なクリスチャンであった妻との仲も強烈にギクシャクしたようです。
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始まりは1437年、正式な設立は1505年、ヘンリー7世の母として財力と権勢を誇ったレディ・マーガレット・ボウフォート(Lady Margaret Beaufort)が仕上げたので彼女が創立者。

門には(↑)、創立者のマーガレット像。その下にボウフォート家の紋章。両側には、神話上の獣のイェール(角を前後に回転することもできる山羊の頭と、ア ンテロープの体、象の尻尾を持っています)。

シドニー・サセックス・カレッジ

このカレッジは、春夏になると、表の通りを歩いていても見える藤の花と、漂ってくるマグノリアの香りが素晴らしい。
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そして、何と言っても、英国史上、最も重要な人物の一人オリヴァー・クロンウェル(Oliver Cromwell, 1599-1658)の出身校。300年の数奇な運命を辿って母校に安住の地を得たオリヴァー・クロムウェルのが安置されている場所です。

ロンドン・ストランドで、(首を探す)胴体の幽霊、ケンブリッジでは、(胴体を探す)首の幽霊なんて話もありますが、双方にその居場所を教えてあげたくなります。

英国は、清教徒革命(ピューリタン革命)によって、国王チャールズ一世を処刑し、共和制(議会政治)であった時代が11年間あります。ピューリタン革命の指導者がオリヴァー・クロムウェル。

1660年に(チャールズ一世の息子の)チャールズ二世が王政復古を遂げますが、チャールズ二世は、議会派の人々を寛大に赦免するものの、父の処刑の執行者(処刑書に署名をした)3人だけは許しませんでした。

歴代の国王達と肩を並べてウェストミンスター寺院に眠るオリヴァー・クロムウェルの遺体を掘り起こし、わざわざ裁判にかけて有罪、遺体の見せしめ処刑を(ロンドン・ホルボーン近くの)レッド・ライオン・スクエアで華々しく行います(防腐処理がされていた遺体ゆえ、十分に見せしめ処刑ができた)。

そして、胴体から切り離された首は25年もの間、ウェストミンスター寺院の屋根にかざされ、それが風で落下したのを密かに拾った衛兵が、クロムウェルの実家(生家は隣町のEly)の子孫に届けます。

時が経ち、いつしかクロムウェルの首(頭蓋骨)は、人から人に渡り、見世物になっていたそうです。それを目にしたシドニー・サセックス・カレッジの学長が、気の毒に思い買い取り、母校のチャペルに安置したのが1960年のこと。

チャペルのドアを開いたままの状態では、ドアの裏側なってしまう壁なので、まるで入場者の目から隠すような場所に安置されています。
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ダイニング・ホールには、ク ロンウェルの肖像画がありますが、カーテンが取り付けられており、通常、カーテンは開いていますが、王室メンバーの訪問の際には、大抵、カーテンがかけられます。

王室の勅許状を賜ることができるよう、エリザベス1世に賄賂(わいろ)を贈っていた遺言状執行者の働きにより、「シドニー・サセックス・カレッジ」は、サセックス伯爵夫人レディ・フランシス・シドニー(Lady Frances Sydney, Countess of Sussex)の5000ポンドと彼女の持っていた全ての銀食器の寄付をもとに夫人の死後1589年、速やかに設立されました。

セント・ジョンズ・カレッジ

「ウェディング・ケーキ」というニックネームを持つお城のような新校舎と、新校舎と旧校舎を結ぶ「溜息橋」が有名なカレッジですが・・・
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ピューリタン革命、そして共和制時代、ケンブリッジ市民全体議会派だったにも関わらず、国王派だったカレッジは苦しみました。今でこそ、セント・ジョンズ・カレッジは、大規模な学寮ですが、第3コート(中庭)は、市民戦争から立ち直った1669年から3年かけて造られました。
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話を変えて、テムズ河での、「ケンブリッジ対オクスフォード」のボート対抗レースは、世界に知られる毎年の風物詩となっていますが、初めてオックスフォード大学に挑んだのが、このカレッジのレディ・マーガレット・ボートクラブ(The Lady Margaret Boat Club)。

クラブの名前は、ケンブリッジのカレッジ対抗レース際に、(冗談のつもりで)船の舳先に取り付けたで亡くなってしまったトリニティー・カレッジのコックス(cox, 漕ぎ手に指示を出す司令塔、艇の最後尾に座る)に弔意を表して改められたクラブ名。

セント・ジョンズ・カレッジのボートクラブの漕ぎ手(oarsmen or women)は、緋色のジャケットを着用していましたが、それが「ブレ ザー」(blazer)の起源。

「ブレ ザー」とは、そもそも(このカレッジのボートクラブのジャケットの色から)緋色だったんです。ブレザー(blazer)という言葉は、炎(blaze)に由来し、同時に、セント・ ジョンズのカレッジ・カラーに由来しています。お城のような新校舎からは想像もできない熱き魂って感じですが。

ボートレースに限らず、このカレッジのスポーツクラブを応援する際の推奨ドレス・コード赤(Red)。Red Boysといえば、セント・ジョンズ・カレッジのラグビー・チームを意味しています。
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さてさて、中世、もともとここには、聖ヨハネ修道院が運営していた聖ヨハネ病院がありました。そこに、カレッジを建てた創立者は、「クライスト・カレッジ」と同じヘンリー7世の母であるレディ・マーガレット・ボウフォート

ゆえに、正門のボウフォート家の紋章やら、装飾が「クライスト・カレッジ」と似ています。でも、ここの像は(マーガレットではなく)聖ヨハネ(= ジョン)の像で、正門1516年完成。

マーガレットに踏まれている男性(↓)は、「怠惰」の象徴。真面目に勉強しないとレディ・マーガレットに足蹴りにされるという意味を表現しています。
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トリニティー・カレッジ

ローマ・カトリックから離別して、英国国教会を打ち立てたヘンリー8世。宗教改革として(収益が、国王ではなくバチカンに直結する関係の)修道院なるものを解体させます(修道院解体令)。英国国教会への宗派変えを拒む修道院をぶち壊し、僧院の農園も含めて所領は没収。
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当時は、修道院といえば、悪の権化のようによい場所ではなかった事実もありますが、他方では、貴重な教育の場でした。その無数の学びの場を破壊してしまった後、ヘンリー8世は、自らの死に臨んで名誉を回復すべく、1546年、没収した資産から多額の資金を与え「神聖にして不可分なる神、イエス、そして聖霊の学寮(The College of the Holy and Undivided Trinity)」を設立しました。三位一体の学寮ってことです、トリニティー・カレッジ。設立の5週間後にヘンリー8世は亡くなっています。

聞こえのよいように言い直すと、「1317年設立のキングス・ホールと、1324年創立のマイケル・ハウスを、1546年にヘンリー8世が接収して、トリニティー・カレッジを設立」。

ケンブリッジで一番大きなカレッジですが、規模だけでなく、最も豊かなカレッジを創立したわけです。
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王室との関係は深く、今日に至るまで、ここの学長は、国王か ら直接任命されます。

門をくぐる前に、門の右手にある出窓と、その前のりんごの木に目をやるのをお忘れなく。
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ケンブリッジで教授をしていたアイザック・ニュートンが住んでいたのが、この出窓のある部屋で、前のりんごの木は(夏場ではないので、緑の葉っぱをつけたりんごの木の写真でなくて申し訳ないのですが)、万有引力の発見の元となった(ニュートンの実家の)りんごの木(の子孫)。

門には、創立者ヘンリー8世の像。像は、昔は、王笏(おおしゃく)を持っていたのですが、悪戯な学生によって、1950年代に、椅子の脚にかえられちゃったそうです(ほんとか、嘘か?)。
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門を入ると目の前は、オックスブリッジのカレッジの中でも最大規模2エーカー(800平方メートル)の「グレート・コート」(Great Court)が広がっています。
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伝統的な学生のチャレンジは、時計が12時の鐘を鳴らしている間に(12回鳴るわけですが)、この中庭をダッシュで一周すること。それは、実在の人物ハロルド・モーリス・エイブラハム(Harold Maurice Abrahams, 1899-1978)を描いた映画「炎のランナー」(Chariots of Fire)に描かれているとおり。

グレート・コートを取り囲む建物は、チャペル、食堂(正面のホール)、教授の研究室。
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ホールの裏手(カム川に面して)には、「パンティング・スタイルへの信念」でご覧いただいたクリストファー・レンが設計した図書館「レン・ライブラリー」があります。

●● キングス・カレッジは、別枠でご紹介しています こちら ●●

クイーンズ・カレッジ

気をつけないといけない点は、Queen's ではなくQueens'。つまり「複数の"王妃の"」ということ。
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1446年に「セント・バーナーズ・カレッジ」として設立したのは修道院長アンドリュー・ドケット(Rector Andrew Dockett)。それを「女性を讃え、栄誉づける」ため、「聖マーガレットと聖バーナードに捧げられた女王の学寮」(The Queen's College of Saint Margaret and Saint Bernard)として再設立したのが、ヘンリー6世の妻である王妃マーガレット・オヴ・アンジュ(1448年)。

その後、エドワード4世の妻である王妃エリザベス・ウッドヴィルが、カレッジの後援者となり、名前がQueens' Collegeに変わりました。

薔薇戦争で、王権がランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)の間を行ったりきたりした歴史が垣間見えますね。

王妃マーガレットと王妃エリザベス、二人の王妃の(Queens')という意味のカレッジです。
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Queensi(クイーンズ・カレッジのメンバー)は、大変、このスペルにこだわりますので、お気をつけください。

さて、このカレッジの橋は、パンティングでご覧いただいた「数学橋」(Mathematical Bridge)。「数学橋」という名前は、この橋が一本たりとも釘やネジを使わずに造られたと、皆が信じていたことからつけられたんです。

コーパス・クリスティーズ・カレッジ

オックスブリッジでは、1352年に、町民によって設立されたということで、独特な存在とされています(コーパス・クリスティと聖母マリアの両ギルドの共同で)。

実は、コーパス・クリスティーズ・カレッジが、初めてコート(四方を建物で囲まれた四角形の中庭、court/quadrangle)を造ったカレッジなんです。
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1544~1553年まで、学長であったマシュー・パーカー(Mathew Parker)は、ヘンリー8世が修道院解体を進めている最中に、その破壊から救った大変貴重な、それも大量の本やマニュスクリプトをカレッジに寄付しました(当時のオックスブリッジのカレッジの多くは、ローマ・カトリック教会の影響下で設立・運営されていましたが、ヘンリー8世の権威と権力、王権が伸長してくると、ローマ・カトリックの影響力は縮小し、修道院解体と英国国教会の設立によりその弱体化は決定的となっていました)。

その寄贈の中には、侵略者ヴァイキングと戦ったウィンチェスターを拠点としたアルフレッド大王(King Alfred)の書いた「アングロ・サクソン年代記」、カンタベリー大聖堂と共に有名なトーマス・ベケット(Thomas Becket)の持ち物だった詩編、聖アウグスティヌス(St. Augustine)から教皇グレゴリウス(Pope Gregory)に贈られたということになっている(現在も、カンタベリー大司教着座式の際に使われる)6世紀の福音書などがあります。

そんな気前の良さにも関わらず、人望のない嫌われ者ってことで、彼の死後、その遺骸は掘り出され、堆肥の山に放り込まれちゃったそうです。

ケンブリッジでお薦めのパブといえば、キングス・カレッジの前から伸びる路地にある「イーグル」ですが、この有名なイーグル・パブ(Eagle Pub)のオーナーは、コーパス・クリスティーズ・カレッジ。

ペンブロック・カレッジ

フランスの王位継承をめぐって戦われた「百年戦争」(1339-1453)の最中である1347年、フランスとイングランドの学生が平和裡(へいわり)に共存する術を学ぶように、という願いのもと、ペンブルック伯爵未亡人であったフランス人、レディ・マ リー・サンポル・ドゥ・ヴァランス(Lady Marie St. Pol de Valence, Countess of Pembroke)が、当初は「マリー・ヴァランス・ホール(The Hall of Marie Valence)」という名称で設立。
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後に、「ペンブルック・ホール」(Pembroke Hall)として知られ、1856年になってカレッジの要件を満たし、ペンブルック・カレッジとなります。
門は設立当時の1300年代の建築です。

門をくぐると、目の前のコートの向こうには、ヴィクトリア朝の素敵な図書館が見えます。
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1600年代、このカレッジのフェロー(教官)だったこともあるマシュー・レン(Matthew Wren)が、新しいチャペルを建設しました。これは、「男に二言はない!」というやつで、彼がたてた誓約に基づいて行われたものです。

彼がたてた誓約とは、「もし、私が、オリバー・クロムウェルによって投獄されたロンドン塔から、生きて出ることができたら、私がいたカレッジに、大礼拝堂を建立します」という誓いの結末。(お帰りなさい!)

エマニュエル・カレッジ

この場所には、元々は、聖ドミニコ修道院がありましたが、ヘンリー8世の宗教改革・修道院解体令により破壊され、1584年になって、エリザベス1世に仕えた大蔵大臣のウォルター・マイルドメイ卿(Sir Walter Mildmay)が、新たなプロテスタント教会の「学識ある男たちを育てる苗床」とするべく、英国国教会の宣教師を養成する目的で設立したのがエマニュエル・カレッジ。
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このカレッジは、ピューリタン運動の中心的役割を果たしていましたが、共和制が終焉をむかえ、王政復古が成された当時の1660年、ここの学長は、極端なピューリタニズム排除するという自らの意図を知らしめるために、国王お抱え建築家である偉大なクリストファー・レン(Christopher Wren)に、もっと明るい感じの礼拝堂の設計を依頼しました。

ピューリタニズムは、清廉・謹厳・実直(暗くて、頑固で、面白味がないとも言われる)を旨とする一派だったから。ピューリタン革命(清教徒革命)の起こった頃が勢力の頂点であったピューリタン、ピューリタン運動は、王政復古の後は弾圧され、卒業生の多くは新天地を求めてアメリカに向かいました。その中にはハーバード大学創設者ジョン・ハーバードもいます。

その意味で、このカレッジのとった行動は、機をみるに敏。

はい、小回りに一周して、また元のバス停(グランド・アーケードという名前の大きなショッピングセンター)前に戻ってきました。「ねっ!もう結構!」というぐらいに、飽きたでしょ?!

実は、カレッジを素通りするかたちで、かなり、飛ばしてしまいましたが、それだけカレッジが連なるということでお許しください。
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by rie-suzuki67 | 2014-02-19 20:56 | :: Countryside
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