英国紙幣になった偉大な日本人 |
始めに英ポンド紙幣に関してですが、デザインは一種類ではありません。 イングランドにおいては唯一、中央銀行(イングランド銀行)が通貨発行権を持ちますが(日本銀行のようないもの)、中央銀行はスコットランドと北アイルランドでの通貨発行権がありませんので、スコットランドと北アイルランドでは以下の銀行がそれぞれ独自の英ポンド紙幣を発行しています。 いずれも民間銀行。民間銀行が通貨を発行している地域は、世界でスコットランドと北アイルランドくらいなものでしょう。 〔スコットランド〕 Bank of Scotland(スコットランド銀行) Royal Bank of Scotland(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド) Clydesdale Bank(クライズデール銀行) 〔北アイルランド〕 Ulster Bank(アルスター銀行) Bank of Ireland(アイルランド銀行) Northern Bank(ノーザン銀行) First Trust Bank(ファーストトラスト銀行) どの紙幣も英国国内で使用が可能ですが、しかし、英ポンド紙幣を海外に持っていって現地の通貨に両替をする場合、両替ができるのは中央銀行(イングランド銀行)発行の紙幣のみになります。 では本題に入りますが、上記のスコットランド銀行(Bank of Scotland)が発行する20ポンド紙幣には、スコットランドが誇る「フォース鉄道橋」(Forth Rail Bridge)と共に、その建設に携わった3人の技師が描かれています。 その中央にいる人物こそが日本とスコットランドの懸け橋となった渡邊嘉一(わたなべ・かいち, 1852-1932)という日本人技師。 「鋼の恐竜」とも形容される巨大なフォース鉄道橋は、ユネスコの世界遺産の候補にも挙げられています。 この橋がどれほど重要な橋であるかを説明するのは難しいのですが、ここで暮らす人々、エジンバラから北に向かう旅人には、今や、なくてはならない橋なのです。赤い線がフォース鉄道橋(↓) 明日からゴルフの聖地セント・アンドリュースでThe Openが開幕しますが、この橋が完成するやいなや、セント・アンドリュースでのゴルフ大会への集客数を増大させた経済的効果も果たした橋です。 紙幣に印刷されている写真は、フォース鉄道橋を語る時に欠かせないものとなった「Human Bridge」と呼ばれる人間模型の写真です。 フォース鉄道橋が建設中であった1887年、人間模型をつかってこの橋の構造であるカンチレバーの原理を王立科学研究所で実演した時のもので、両端には二人の英国人技師(ファウラー・ベイカー工務所の経営者であるジョン・ファウラーとベンジャミン・ベイカー)。そして、人間模型の中央に載ったのが渡邊嘉一その人でありました。 渡邊嘉一は、現在の東京大学工学部を首席で卒業し、工部省に技師をして雇われ鉄道局に勤務しますが、辞して、グラスゴー大学へ留学。ファウラー・ベイカー工務所(所在地:グラスゴー)の技師見習い生になり、その後、技師に昇格。フォース鉄道建設工事監督係に抜擢される。工事監督のかたわら、実地測量とその設計主務も担当。 当時の英国、土木工学の先端をいっていたのが、スコットランドのグラスゴー。そんなこともあり、当時の東京大学工学部の教授は、グラスゴー出身の英国人で構成されていたので、スコットランド訛り(言葉)やグラスゴーの人々に溶け込むのに、渡邊嘉一には学生時代の経験が有利に働いたようです。 カンチレバー用法の起源が東洋にあり(陰と陽)、東洋の恩義を誰もが思い出すように、という設計者であるファウラーとベイカーの粋な計らいにより、渡邊嘉一が人間模型の中央にというものです。 フォース鉄道建設業半ばの1888年に日本に帰国を余儀なくされた渡邊嘉一。帰国後、日本国の土木事業、のち鉄道関連を中心に十数社の経営に携わりますが、その影にこんな偉大な日本人がいたことを知る人は少ないでしょう。 |
by rie-suzuki67
| 2010-07-15 05:02
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